2003.01.az

 だーいぶ、ちょっとしたことで考え込むことなくなって、それでもまだ癖みたいに止まってしまうことがある。
 お葬式と同じで、アイデンティティも自己満足なんちゃうんかな。実際のところは思ってるより流れるようにしか流れない、考え込んだって仕方がないことばかりなのかも知れない。黒と白があって、灰色という位置付けもあって、圧倒的多数が灰色なのではないかと。他人が他人から得られるものってのはそんなもんで。
 残酷さが剥がれ落ちて土に還って、吸収したり流れたり、タケノコと土の関係によく似た、やっぱり自然なサイクルで廻ってんのかな。理由が有り過ぎて結局なんでそうしたか判断のつかないことって、解剖しても見えないことが最大の理由だったりして、んでも、それを相手に何とか表現したい。叶うことなら言葉だと嬉しいのだけれど。