書きたいことを書かなかったそののち、書きたかったような気がすることはさっぱり思い出せず、「メモれ」という説と「忘れることはその程度のこと」説があるけれども、どちらかといえば前者であり逃げた魚は大きいわけで、その魚の大きさや色や味や食感を想像し食後の下痢まで辿り着けたら幸せに忘れられるという。

 今日は二駅くらいを歩いてみた。方向はなんとなくわかっていたので、裏道を発見したり、ねこだまりの態度大きめの猫たちを見たり、気候のためかほとんど人の居ない他人の町をわがもの顔で歩くのはとても楽しかった。