2003.05.25.sun.cloudy

 イワシが二日ぶりに風呂に入ったとき、彼の頭の中には、吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』が流れていた。
 テレビもラジオも自動車がそれほど走っていなくても別にいいんだけどな、と彼は思った。それから、そう思うのはテレビやラジオや自動車と接触したことがあるからだろうな、とも思った。
 イワシはディスコには行ったことがなかった。けれど、似たような施設は少し外へ出ればあったので、その気になればいつでも行けた。だから行く気もなかった。
 触れられないものが欲しいだけで。東京に行ったところで牛を飼おうとするのは皆同じなのだ。

 イワシは風呂から上がると、恋人とも自分とも仲のいい女から貰った鼻毛切りを出し、鼻毛を切った。
 デリカシーというものが欠けているとすれば、誰のことなんだろうか。鼻毛について文句を言ったのであろう恋人か、それとも笑いながら鼻毛切りを渡してきた女か、はたまた鼻毛を伸びるままにしていた自分か。
 先人は、『類は友を呼ぶ』と言い、それが鼻毛数本で実証されてしまうのだから侮れない。

 イワシは、経過した時間のどこかで境界の去ったことを知っていた。彼に出来るのは、知ることだけだった。
 引っ張り続けた境界線が、或る日パチンコのゴムみたいに自分を跳ね返せばいいと思う。